梅雨の晴れ間の週末、本来なら走りに出たい日になるハズですが、
このところの忙しさで少々グロッキー。
土曜日に走りましょ、というお誘いをもらっていたものの、
地下鉄の階段を上る脚の重さに
「これはどうみても無理、走れなくて迷惑かけるわ」
と自覚し、土日は家で鋭気を養う(?)ことにしました。
そういえば去年の今ごろも、気温の変化に付いて行けなくて「調子悪い」って連呼していた気がします(^_^;)
思秋期で体温調節が下手になっていることは自覚してますが、
それを乗り切るいい方法が見つからない。
日中は暑いのにあまり上手に汗をかけていないことに気がついたので、
金曜の夜は久しぶりに岩盤浴に行きました。
そこそこ熱めの温度設定でしたが、とりあえず“眠っている汗腺にカツを入れる”くらいのことはできた気がします。
あと数回通えば、ちゃんと汗をかけるカラダに整えられそうです。
で、家にいる土曜日。
天気も良いので猫トイレを洗いました。
家の中に3つセットしてあったものを全部きれいに洗い、日光消毒して2つは片付けました。
去る5月25日の深夜、コタは我が家を去りました。
一年ちょっと前、ハナが去った時は医者の助言を受けて入院させていたので、
最期を見届けてやることが出来ませんでした。
(電話連絡はもらったものの、車で駆けつけた時には息を引き取ったあとでした)
コタは、昨年丸一年、繰り返しの手術で悪性腫瘍を取り去ることに挑戦しましたが、残念なことに再発。
今春、医者からも「これ以上は取ることができない」と言われ、あとは緩和ケアしか残されていませんでした。
それならば、ストレスがかかる通院は極力避け、家で今までどおりの生活を送るようにしようと考えました。
亡くなる3ヶ月前までは食事も自力でできたし、トイレも自力で済ませてくれていたので(たまに粗相もありましたが)、エリザベスカラー以外の措置はしなくて済んだのも幸いでした。
その日私は所用で帰宅が遅くなり、「帰ったすぐにコタに給餌しないと」と思っていました。
(自力で食べなくなったので、この頃は朝と晩の給餌が必要でした)
前夜までは私が帰宅するとおぼつかない足取りで必ず出迎えてひとしきり何かおしゃべりをするのが常でしたが、その夜は出てこないのでどこにいるのか探したところ、コタ用ベッドから一番遠いトイレから半身だけ出した状態で倒れているのを発見。
急いで抱え上げてコタ用猫ベッドに横たえて様子をみることにしましたが、この時心の中で覚悟はできました。
それから1時間とちょっと後、静かに旅立って行きました。
翌日、母から電話。
「コタちん居なかったけどどうしたの?」
入院でもしたのかと思ったようですが、昨夜深夜に息を引き取ったことを伝えました。
すると「やっぱりねぇ」と。
母の話によると、24日の昼間に母が我が家へ来ていたとき、最近はとんと動かなかったコタが珍しく起き上がって母の足元へ来たのだそうです。
そして母の顔をみて、周囲をぐるっと見回した後、コタ用猫ベッドから離れているケージの隅のほうへ移動したのだとか。
それを見て母は「猫は死ぬ前に姿を隠すと言うから、そういう事かな?」と思ったそうです。
「きっと、最後の挨拶に来てくれたんだねぇ」と話していました。
私も、24日の夜遅くに帰った時にはまだ私の顔をしっかり見つめてくれたので、
私が帰るのを待っていてくれたんじゃないかと思っていました。
息を引き取る十数分前には、自力で起き上がり向きを変え、私に背中を向けたのです。
コタは本当は独りで去りたかったのでしょう。
私はコタの看病に対して、自宅で見届けると決めてその通りにやってきました。
何度か「医者に連れて行くべきかも」と思うことがありましたが、日に日に痩せていくコタに度々の通院はストレスのほうが大きいと判断し止めました。
もしかしたら、通院を繰り返していた方がもう少し長く生きられたかもしれません。
でも、完治は望めない・・・。
「ならばコタに付き合えるだけ付き合う」
そう決めてここまで来たので、コタの最期を見届けても涙は出ませんでした。
自分でも不思議なくらい静かな気持ちでした。
コタも私も「やっと解放されたね」という気持ちでした。
私のエゴかもしれませんが、やれるだけのことはやったから悔いはないし、
最期は見届ける、その気持ちも満たされたので思い残しはありません。
命はいつかは去る、その時が来ただけのことです。
我が家には、ハナもコタも『墓碑』のようなものはありません。
唯一残っているのはひとつまみ切り取った毛だけです。
今日、猫トイレを洗って片付けたように、今後少しずつコタが居た名残のようなものは減っていくでしょう。
それでもコタは私にとって一番の猫だったことは変わりません。
子猫の頃から気持ちの優しい子で、私は一度も引っかかれなかったし噛まれもしませんでした。
でも最後の最後まで我が家のボスでした。
ササミとカニが大好きで、気に入らないフードは頑として食べない子でした。
三匹の中で一番写真写りが難しい子で、カメラ(レンズ)が大嫌いでなかなかいい写真が撮れませんでした。
10年以上一緒に過ごした猫がこの2年ほどの間に続いて居なくなったので、なにがしかの心の空白はあります。
それがいつになったら埋まるのか、何をきっかけに埋まることがあるのか、今はわかりません。
ただ、コタもハナも私に負担をかけないような去り方をしてくれたことに感謝しています。
そしてコタに心を寄せて下さった全ての方にあらためて感謝の意を。
昨今、急に猫が脚光を浴びてきました。
以前にも某マンガがきっかけでアメショーという猫がもてはやされた時期がありました。
今回は猫全体のブームのようですが、ブームはたいてい理解を伴わずに拡大するので怖いと思っています。
もし今、猫を飼いたいなと思っている方が居たら、その前にこれだけは考えておいてください。
・完全室内飼いと去勢と避妊
犬は平面移動しかありませんが、猫は平面+高さで移動する生き物です。
そして一定の範囲を自分のテリトリーと認識すればその中で安心できる生き物です。
必ずしも広い必要はありません。
自宅外=テリトリー外であり、そこにはライバルが居ることになり、ケガをするリスクが高まり、ひいては病気を持ち帰る事に繋がります。
ですので、脱走にも細心の注意を払って欲しいと思います。脱走はほとんどが飼い主の不注意から発生するものだと思います。
そして適切な時期に「去勢・避妊」の手術を行って下さい。
不用意に繁殖した子猫は前途多難です。心ないヒトの手に渡った場合、待っているのは死のみです。
・ワクチン接種
完全室内飼いでも、人が外からウイルスを持ち込む可能性があります。
年一回のワクチン接種は必須と考えて下さい。その費用は5000円から10000円程度、それが維持できないなら猫を飼うことは慎重に考えて欲しいと思います。
ただ、フェロバックスというワクチンは避けた方が良いと思います(もう使っているところは少ないと思いますが)。
少し調べれば出てくると思いますが、コタはこのワクチンが元で腫瘍が発生したと思われます(幼少期の3回程度のみ、このワクチンを使用しただけですが)。
現在は腫瘍発生リスクのないワクチンが出回っているはずです。
・基本が「群れない」生き物であること
犬は集団生活の中で自分の居場所を確立する生き物ですが、猫は「個」で生きるもの。
人と一緒に居ても、自分の都合でしか媚びません。
猫が遊びたくない時に触れば怒って爪を出すのは当たり前で(そのガマン度合いはまちまち)、触ったヒトのほうが悪いのだと、大人も子供も学ぶべきだと思います。
猫は雄弁な生き物です。
それを語るのは、耳だったり尻尾だったり背中の毛だったりするのでヒトにはわかりにくいだけ。
とても個性的で、エネルギッシュで魅力に満ちた生き物です。
現代人の“野生からかけ離れた感覚”で猫という生き物を量らないように願いたいと思っています。
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